高橋博之氏著「都市と地方をかきまぜる」を読んだあとのメモを書き残しておきます
都市と地方をかきまぜる [ 高橋博之 ]
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2016年も本日で終わりを迎えます。
今年の最後を締めくくる本は、「都市と地方をかきまぜる」。
まさに、3年前、私自身が目指していた事
「中間を通さず、農業生産者から消費者(生活者)へ直接届ける」を、
実際に形にしている「食べる通信」の発起人の方が書いた著書です。
恥ずかしながら、最近まで、食べる通信も、高橋さんも、
まったく知りませんでした。
東京のIT企業で、インセンティブをモチベーションとし、
2年間、朝から晩まで、満員電車に揺られ、働きました。そして消費し続けました。
気づくと、月々の食費は、10万円を超えていました。
消費することは、楽しい。快感です。
しかし、、もやもやが残ったままでした。
このまま、「東京の消費生活の中で生きること」への疑問。
営業で結果を出しても、なぜか充実感が満たされない心。
なぜ、そんなことが起こっていたのか、
この本を読んで、わかった気がしました。
「リアリティの欠如」です。
ひとはみな、自然の中の一部であることを、
自然と触れる機会が離れるほどに、忘れていきます。
現社会で生じる様々な問題は、
自然と人間を、分離するように動いてきた結果だ
といっても過言ではないように思えました。
「人間の一生は、宇宙における一瞬の刹那に過ぎない」
「あらゆる自然は生まれ、また必ず死ぬ」
自然そのものである、農作物とのかかわりを通して、
命の尊さや、生きる事について、
もっと深く知りたいと、純粋に思いました。
せっかく私は今田舎にいるので、
来年は農作物の尊さを学び、伝えよう!伝えます!
そして、今、この一瞬を、大切に、大事に生きよう。
5月から始めたブログ、
9000人以上の方に、記事を読んでいただきました。
正直、びっくりしています。併せて感謝し、
もっと有益な情報を発信せねば、という気持ちです。
来年も、不定期にはなると思いますが、更新しますので、
inakanohitoを、そして各方面でご活躍されている、田舎の人を、
ぜひ、よろしくお願いいたします。
以下、チェックしたメモを書きなぐります。
何かしらの気づき、助け、ヒントとなれば幸いです。
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都会 ー 買い物や飲食をしようと思えばありとあらゆる店がそろい 、
時間帯も気にせずに刺激と欲求を満たすことができる 。街並みは人工物で埋め尽くされ 、直線の世界。人と関わる煩わしさが少ない分だけ気楽だが 、孤独な世界。
田舎 ー 狭いコミュニティの田舎は 、家族 、親戚 、地域住民 、仕事仲間 、同級生など 、知り合いの眼差しに常にさらされているだけに 、気が抜けない
でも気心知れた人たちの中にいることには 、おさまるところにおさまる安堵感もある 。
都会と田舎の 「いいとこ取り 」
都会に暮らす自分に納得し満足しながらも 、
都会では埋めることができない 「何か 」を田舎に求める人々
ふたつの 「見えない檻 」
家族も他人も地域も自然も 、自分の思い通りにならない
都会で自由な暮らしを送りながら 、孤独や飢餓を避けるためにはお金が必要
時間だけが労働に拘束
自由の奴隷
この状態を養老孟司さんは 、 「脳化社会 」と呼んだ
人間がつくるものを人工物 、人間がつくれないものを自然と定義すれば 、私たちの体も本来は自然である 。だから自然の中に体を置くと 、気持ちがよいと感じる
身体感覚
「いいとこ取り 」の生活の中で気づいたことは 、前述のように都会も 、いや 、むしろ都会の方がより行き詰まっているのではないだろうかということ
「関わり 」や 「生きる実感」
ごく一般的な家庭
ちゃんと勉強し 、いい成績をとり 、いい大学に進学し 、役所か大きな会社に勤めて 、安定した給料をもらう
発展途上国 ー「生 」を貪るように生きる人々の姿だった 。
「母なる優しい自然 」と 、ときに人間の命を脅かす 「父なる厳しい自然 」
人間も自然の一部なのだから 、自然に感謝し 、畏怖し 、共存して生きていかなければならない 。
「津波の後は海に戻れ 。海が豊かになっているというんさ 」その言葉通り 、津波の後の海は 、通常二年かかって育つ大きさの牡蠣が一年でなるほど豊か
「食 」は誰しも一日三回毎日繰り返す身近なものであり 、私たちの生命を支える最も重要な行為だ 。
「見えない化け物 」
食は命に直結する
世界との接続を断たれた消費者にとっては 、もはや工業製品となんら変わりないものになってしまっている 。彼らにとって 、食べるという行為は車にガソリンを給油することに近い 。
生きものの命に感謝する 「いただきます 」や 「ごちそうさまでした 」も 、単なる形式的な儀式へと変容してしまっている 。
「生 」は他の生きものの 「死 」を前提にして成り立っていることを改めて感じた 。
それを人間は収奪しなければ生きていくことはできない 。これは 、誰もが逃れることのできない掟だ 。
生きものの 「死 」を前提とした自らの 「生 」を感覚できなくなってしまったから
国民皆保険制度という世界に冠たる仕組みができたおかげで 、病気の多くは治るようになった 。併せて「死 」について考える機会が昔に比べて圧倒的に減った
多くの都市住民が今 、自らの 「生 」を持て余しているのは 、逆説的だが 「死 」から遠ざかってしまったからではないだろうか 。
「死 」と隣り合わせの 「生 」は 、限りあるからこそ自ら光り輝こうとする
人口減を嘆く前に「関係人口」を増やせ
消費者と生産者も「かきまぜる」
「消費者」ではなく「生活者」になろう
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引用:「都市と地方をかきまぜる」高橋博之氏著
良いお年を!