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田舎暮らし、はじめました

西新宿のIT企業から気仙沼市へUターンしたinakanohitoのブログ

新卒から2年で会社を退社し、Uターン後に田舎で8か月間フリーター25歳の現実

おはようございます。

 

さて、私が前職を退社して、

8か月間、既に経過していることを知りました。

 

昨年7月、親の反対を押し切り、

近所のおじさんにまでも、役所を受けなさい、

と色々と根回ししていただいたにも関わらず、、、

 

役所の就職活動を蹴り、

フリーランスとして、まず1年は生きてみる、

事を自身で決めました。

 

失業保険の期間もあったので、実質、今月からなのですが、

インターネットでのビジネスを中心とした

収益システムを回し始めている矢先です。

 

はたから見ると、田舎に帰ってきて、

実家にのさばってパソコンをカタカタやっているのは、

気味が悪いようで。

 

ごうを煮やした父親に、昨日に説教を受けました。

 

「あなたの息子は田舎に帰ってきてなにをしているのか」

と、よく周りから聞かれるらしく、

早くまともな仕事につけ。

 

という内容でした。たぶん、心配をしてくれている、

という趣旨だと思うのですが、伝え方がへたくそなので、

 

「お前が帰ってきて家で怠けているから、

周囲から変な目で見られるのが恥ずかしいんだよ」

 

という内容に聞こえてしまいました。

私は、ショックを受けました。

 

田舎ならではの、「近さ」「閉鎖性」がもたらす、

あたたかさでもあり、おせっかいでもあります。

 

田舎の人の想定する自分の中の世界観から、

外れた人間が近くにいる事は、おそらく、

気味が悪いから、分離したくなるんだと思います。

 

自身の8か月間を振り返ってみると、

好きなときに漫画を読んだり、本を読んだり、旅行に行ったりと、

相当自由に、過ごして参りました。

 

学生生活、会社員生活からセミリタイアして、

一転レールから外れて、人生を歩んでみました。

 

すると、とある人生の本質に気が付きました。

 

あー

人生って自由なんだなあ、

人生って1回きりなんだなあ、

人っていつか必ず死ぬんだなあ、という事。

 

再認識しました。

 

個人事業主としてやる!という事は、

全ての責任を自分自身で負うという事です。

 

会社の場合、極論、毎日足を運んでいれば

給料がもらえますが、個人の場合、仕事を自分で作りだし、

マネタイズしていかなければ、給料はもらえません。

 

自分だけ食える分ならまだしも、

家族を養うまでの収益はまだ作り出せていませんし、

なかなか、先の道は茨だなあと感じています。

 

ですが、自分の思うように、描き、想定し、突っ走れるので、

自由ですし、土日も関係なく働けるし、

クリエイティブで、楽しく(つらい事もありますが)、

なにより世界が広がり、自己成長できます。

 

満員電車にも乗らなくてよいし、

朝目覚まし時計を鳴らす事もありません。

 

会社もメリット、デメリットあるし、

個人もメリット、デメリットもあります。

 

どっちが良くて優れているか、

なんて誰にもわかりませんし、

そんなものは、この世界にありません。

 

ただ、誰しもが、自分の歩んでいる道が正しいんだ、

と思いたい心理があります。

 

まあ、気を張り詰め過ぎても、人生は過ぎていく一方なので、

流れに身を任せつつ、

日々を歩んでまいりたいと思います。

 

PS.早起きは頭がクリアで、効率が良い。明日から6時に起きたい。

   寒いけど、6時に起きたい。

 

 

inakanohito

おせっかいと善意の境界線

おせっかいとは・・・
出しゃばって世話を焼くこと。不必要に人の事にたちいること。

 

つい、相手のためだと思い、善意で行った行為。

 

もっとこうした方がいい。
これなら、こうするのがいいんじゃない?
それは○○だから、やらない方がいいよ。

 

こうした善意が、相手にとって、ペースを乱される事につながり、

うっとうしい!と思われてしまい、結果、

双方とも、わだかまりを起こしてしまった事、ありませんか。

 

そんな事が今日、ありました。(〃艸〃)笑

 

善意の押し付けは、相手にとってはおせっかい、迷惑となる事もある。

 

相手の顔色を窺い、

(これ以上は立ち入り禁止)

 

サインが現れたら、それ以上は、立ち入らない事が、

お互い良い事もあるんだなあと気づきました。

 

玄関から土足で家に入られるものほど、

不気味で不快な事はありません。

 

でも、もしも

私が水道工で、相手の家内の下水道管から、

水が溢れていて、今にも破裂しそうな事に相手が気づいていないなら・・・。

 

直してくれた水道工は、

一瞬の間に、相手にとって不審者からヒーローに変わります。

 

 

不審者とヒーローは紙一重、

おせっかいと善意もまた、紙一重でしょうか。

 

おやすみなさい。

 

 

inakanohito

 

あなたは何日人生を過ごし、あと何日生きられるのか

ちょっと面白いサイトがあったので、紹介します。

 

あなたはあと何日生きられるのか。

lifetime.in.net

 

(あー、明日から○○嫌だなあ。あー気づいたら正月休みがあっという間に終わってしまった・・・)

※あえて仕事とは書きませんが

 

つい、忙しい日々に埋没し、頭を悩ませるとき。

日々を襲う、悩み、苦しみ。

 

こんなもやもやした気分で、夜、眠りにつき、

明日の朝を迎え、何気ない日常に舞い戻っていく。

 

私自身、東京で2年間のビジネスマン生活をしていたとき、

地下鉄の中で傘をさしているくらい、仕事の事で頭が一杯で、

 

あした生きれるのが、当たり前、日常は永遠に続くんだ、

というような感覚でした。(あと○○日耐えれば休みだぁい!)

 

明日、1週間後、1か月後、1年後。未来は不確実です。

未来はどうなるか、だれも予想はできないし、

予言はできません。

 

しかし、

ひとつだけ、決定的な事実があります。

人は必ず、死ぬという事。

 

ついありふれた日々を過ごすなかで、

人生は有限、という事実を忘れてしまってはいないでしょうか。

 

「死ぬ」という事は、つい日々の生活の中から分離されがちです。

(例えば葬式にせよ仏壇にせよお墓にせよお化けにせよ然り)

 

しかし、北方水滸伝を読んで(別ブログ参照)、死は決してネガティブな事ではなく、

ごくごく自然な事(人間は自然の一部に過ぎない)で、我が人生、

自身の人生をとおして何を描きたいかは自由で、十人十色、すべてバラ色である!

という事に気付きました。

 

悲観的になる、という事ではなく、

1秒でも、楽しい、充実した人生だったなあ

といって死にたい。と私個人は思います。

 

だからこそ、人生が有限である事から逃げるのではなく、

心のどこかに、常においておきたい。

 

 私は、大体10000日を過ごし、

残り20000日くらい(80歳まで)ありました。

3分の1を終え、残り、3分の2くらいです。あくまで平均寿命です。

 

いつまで生きれるか、私自身にも、他の人にも誰にも分らないが、

いつかは必ず死んでしまう。

 

ああ、幸せな人生だった。

周りに感謝し、感謝される、いい人生だった。

 

今この瞬間に死んでも、そう思えるように。

そんな人生をこれから残り3分に2は、歩んでゆきたい。

 

 

と、聖人君主にfake itしてみました。

 

 

inakanohito

 

あけましておめでとうございます。レッテル人間からの脱却を。

遅れましたが、あけましておめでとうございます。
 
 
今年は、学歴、地位、権力、役職、権威、資格などの、
 
自分がこれまでに意識してきたひとつの基準、
 
「レッテル」を外し、人間性を磨くことを目標にします。
 
 
私自身、基本的に、全身レッテル武装人間でした。
 
受験勉強を(要領よく)頑張り、(運よく)国立大学に進学し、
 
(滑り込む様に)上場企業に就職しました。
 
 
資格も英検や宅建を始め、たくさん持っています。
(それほど難しい資格は持っていません^^:)
 
 
なぜ、こんなにも、色々な「レッテル」を自分自身にくっ付けたがってきたんだろう。。
 
そうか!!
 
自分に自信がなかったからか!!
 
 
こうした、色々なレッテルを引っぺがしても、
 
ああ、このひとと一緒にいたい!
 
尊敬できる!なんか面白そう!
 
そんな人間を、、これから目指してまいりたいです。
 
 
 
近くに困っている人がいたら、
 
私利私欲を捨て、なりふり構わず、見返りを求めず、手助けできる人間です!
 
と自信を持って答えることができる様に。
 
 
 
人生は100%、全員に終わりがきます。
 
最後、骨になって、土に還るときに、
 
レッテルは、全て引っぺがされてしまう
 
 
心が素っ裸でも、
 
綺麗で、無垢なままでいたいなあ、と、思いました。
 
 
 
そんなわけで、まずは外見から変えてみよう。
 
眼鏡をやめて、コンタクトにします。笑
 
「千里の道も、一歩から。」
 
 
みなさまとの出会いを通じて、
 
ワクワクドキドキの1年となり、自身の心を磨き、一歩、成長できます様に。
 
 
抽象的な文章となってしまいましたが、
 
ご拝読いただき、ありがとうございました。
 
本年も引き続き、よろしくお願いいたします!
 
 
inakanohito

高橋博之氏著「都市と地方をかきまぜる」を読んだあとのメモを書き残しておきます

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2016年も本日で終わりを迎えます。

今年の最後を締めくくる本は、「都市と地方をかきまぜる」。

 

まさに、3年前、私自身が目指していた事

「中間を通さず、農業生産者から消費者(生活者)へ直接届ける」を、

実際に形にしている「食べる通信」の発起人の方が書いた著書です。

 

恥ずかしながら、最近まで、食べる通信も、高橋さんも、

まったく知りませんでした。

 

東京のIT企業で、インセンティブをモチベーションとし、

2年間、朝から晩まで、満員電車に揺られ、働きました。そして消費し続けました。

気づくと、月々の食費は、10万円を超えていました。

 

消費することは、楽しい。快感です。

 

しかし、、もやもやが残ったままでした。

このまま、「東京の消費生活の中で生きること」への疑問。

営業で結果を出しても、なぜか充実感が満たされない心。

 

なぜ、そんなことが起こっていたのか、

この本を読んで、わかった気がしました。

 

「リアリティの欠如」です。

ひとはみな、自然の中の一部であることを、

自然と触れる機会が離れるほどに、忘れていきます。

 

現社会で生じる様々な問題は、

自然と人間を、分離するように動いてきた結果だ

といっても過言ではないように思えました。

 

「人間の一生は、宇宙における一瞬の刹那に過ぎない」

「あらゆる自然は生まれ、また必ず死ぬ」

 

自然そのものである、農作物とのかかわりを通して、

命の尊さや、生きる事について、

もっと深く知りたいと、純粋に思いました。

 

せっかく私は今田舎にいるので、

来年は農作物の尊さを学び、伝えよう!伝えます!

 

そして、今、この一瞬を、大切に、大事に生きよう。

 

5月から始めたブログ、

9000人以上の方に、記事を読んでいただきました。

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正直、びっくりしています。併せて感謝し、

もっと有益な情報を発信せねば、という気持ちです。

 

来年も、不定期にはなると思いますが、更新しますので、

inakanohitoを、そして各方面でご活躍されている、田舎の人を、

ぜひ、よろしくお願いいたします。

 

 

以下、チェックしたメモを書きなぐります。

何かしらの気づき、助け、ヒントとなれば幸いです。

ーーーーーーーーーーーーーーー

都会 ー 買い物や飲食をしようと思えばありとあらゆる店がそろい 、

時間帯も気にせずに刺激と欲求を満たすことができる 。街並みは人工物で埋め尽くされ 、直線の世界。人と関わる煩わしさが少ない分だけ気楽だが 、孤独な世界。

 

田舎 ー 狭いコミュニティの田舎は 、家族 、親戚 、地域住民 、仕事仲間 、同級生など 、知り合いの眼差しに常にさらされているだけに 、気が抜けない
でも気心知れた人たちの中にいることには 、おさまるところにおさまる安堵感もある 。


都会と田舎の 「いいとこ取り 」

都会に暮らす自分に納得し満足しながらも 、

都会では埋めることができない 「何か 」を田舎に求める人々

ふたつの 「見えない檻 」

家族も他人も地域も自然も 、自分の思い通りにならない

都会で自由な暮らしを送りながら 、孤独や飢餓を避けるためにはお金が必要

時間だけが労働に拘束

自由の奴隷

この状態を養老孟司さんは 、 「脳化社会 」と呼んだ

人間がつくるものを人工物 、人間がつくれないものを自然と定義すれば 、私たちの体も本来は自然である 。だから自然の中に体を置くと 、気持ちがよいと感じる

身体感覚

「いいとこ取り 」の生活の中で気づいたことは 、前述のように都会も 、いや 、むしろ都会の方がより行き詰まっているのではないだろうかということ

「関わり 」や 「生きる実感」

ごく一般的な家庭
ちゃんと勉強し 、いい成績をとり 、いい大学に進学し 、役所か大きな会社に勤めて 、安定した給料をもらう

発展途上国 ー「生 」を貪るように生きる人々の姿だった 。

「母なる優しい自然 」と 、ときに人間の命を脅かす 「父なる厳しい自然 」

人間も自然の一部なのだから 、自然に感謝し 、畏怖し 、共存して生きていかなければならない 。

津波の後は海に戻れ 。海が豊かになっているというんさ 」その言葉通り 、津波の後の海は 、通常二年かかって育つ大きさの牡蠣が一年でなるほど豊か

「食 」は誰しも一日三回毎日繰り返す身近なものであり 、私たちの生命を支える最も重要な行為だ 。


「見えない化け物 」


食は命に直結する

世界との接続を断たれた消費者にとっては 、もはや工業製品となんら変わりないものになってしまっている 。彼らにとって 、食べるという行為は車にガソリンを給油することに近い 。

生きものの命に感謝する 「いただきます 」や 「ごちそうさまでした 」も 、単なる形式的な儀式へと変容してしまっている 。

「生 」は他の生きものの 「死 」を前提にして成り立っていることを改めて感じた 。
それを人間は収奪しなければ生きていくことはできない 。これは 、誰もが逃れることのできない掟だ 。

生きものの 「死 」を前提とした自らの 「生 」を感覚できなくなってしまったから

国民皆保険制度という世界に冠たる仕組みができたおかげで 、病気の多くは治るようになった 。併せて「死 」について考える機会が昔に比べて圧倒的に減った

多くの都市住民が今 、自らの 「生 」を持て余しているのは 、逆説的だが 「死 」から遠ざかってしまったからではないだろうか 。

 

「死 」と隣り合わせの 「生 」は 、限りあるからこそ自ら光り輝こうとする

 

人口減を嘆く前に「関係人口」を増やせ

 

消費者と生産者も「かきまぜる」

 

「消費者」ではなく「生活者」になろう

ーーーーーーーーーーーーーーー

引用:「都市と地方をかきまぜる」高橋博之氏著

 

 

良いお年を!

「ローマ法王に米を食べさせた男」を読んだ際のメモを箇条書きでまとめておきます

私自身が代々続く米農家一家、ということもあり、

センセーショナルなタイトルに惹かれ、購入した本。

 


 

 

リマインドのため、

箇条書きのメモをブログにまとめておくことにしました。

 

環境負荷が少ない、健康にも良い、

無農薬・自然栽培。

来年やる!!やるぞ!!

 

以下、メモになります。

何かしらお役に立てれば幸いです。

 

ーーーーーーーーー

飯が食えないから就農者減る一方

ブランド化

人体主義

プラスの面にフィーチャリング

計画書×→行動

役人→役に立ってこその人

「本質」前例主義×

空き農地、空き農家バンク

よそ者は村の秩序を乱す→抜魂

全国紙で公開→移住者選抜試験

移住者にお客さんはいらない

自転車は補助輪を外すと、転ぶ。何度も失敗してこげる。

メディア発信は2週間ごと

よそ者に語ってもらう事で初めて気づく地域のよさ

みずほの村市場

安売でなく、高売競争

1300円の袋と900円の袋の同時販売

棚田のオーナー制度

山の綺麗な水だけで作られる

山間地は昼夜の寒暖差が激しい

ヨボシオヤ制度

にぎやかな過疎集落を目指す

看板のないカレー屋

物が売れる三大原則「これだけ。ここだけ。今だけ。」

「ものを売りたいときは売らない」

指示待ち農業者

よく調べないと何もできない原則

一人の人間のように調和がとれた街

心おこし

「知(情報)」→「情(心)」→「意(行動)」

可能性の無視は最大の悪行

責任追及はアホがやること

片田舎に人を呼ぶとしたらエッジを立てないとダメ

公務員を道の駅長にすれば赤字になる

アントレプレナーシップ

萩シーマート

健康を願う農家

批判者への返し文句「あなたはやったことあるのか」

山川草木悉有仏性⇔害虫駆除思想

感動よりも行動を

ーーーーーーーーー

 

 

田舎、中山間地域に住まい、地域をもっとワクワクさせたい方は、

ご一読をお勧めいたします。

 

今年は大変お世話になりました。

私に関わる方のご健康と、幸せを切に願います。

来年も、よろしくお願いいたします。

 

inakanohito

 

北方水滸伝全19巻を読んで感じた事。

2016年12月26日。

ついに長い闘いを終えた。


禁軍最高武術師範、王進にかけられた謀反の疑いによる、王進とその母による、首都からの、脱出劇にはじまる。2016年7月。


 ここから、6か月。寝る前の30分。

毎日の終わりを締めくくる、

最後の楽しみが、この北方水滸伝だった。



1冊5時間ほどで読める。

19巻あるから、

おそらく約100時間ほど没頭した事になる。


 

時間にすると大した事はないようだが、


この本の登場人物に、

感情を何度揺さぶられた事か。


 


戦後の大衆文学の最高峰とうたわれる当作品。


きっかけはとある尊敬する広告マンの一言。

優れた経営者はみな「北方水滸伝」を読んでいる、という事だ。



私自身が経営者になりたいか、

云々はさておき、


それほど優れた賢人が進める本。

すぐに購入した。

購入したのは2013年の7月ごろだ。


あまりの冊数と、

少し読んでの登場人物の多さに辟易し、

すぐに読むことをやめてしまった。


 


会社を辞めるとなった今年の5月、


とある先輩と約束をした。


今年中に、北方水滸伝を読破します!と。


 


一度約束した事、男に二言はない。


読む。読むぞ。決めた7月。



ん。

あれ。


あれほど読むことに辟易していた自分。


 


気づいたら、読む次の手が止まらない。


止められない。


 


内容に関しては、是が非でも


一読していただきたいので、触れない事にする。


 


事実だけお伝えする。


この本で、10数回、私は涙を流した。


 


人生とはなにか。


という大きな問い。


誰にも明確な答えを出すことができない、

ひとつの問い。


死にあらがうのではなく、

ひとつの「志」を胸に、

自らの生きた証を、

生き様を、自らが思い描くように、

描き、

108人が、壮絶に死んでいく。


 


10人10色。


人それぞれ、

得意不得意がある。


誰にももっていない、

ひとりひとりの、特徴がある。


ひとりひとりの人生がある。 


自らの生き様を、これからどのように描くか。

この本で、多くの事例をまざまざと、

見せつけられ、否応無く、考えさせられた。


 

全19巻。


ようやく、、

完結か、と思いきや。

まさかの。。。


楽しみは来年以降にとっておく事にする。


一度きりの人生、

自らどんな志を掲げ、

自らどんな生き様を描き、

生きて、そして死んでいきたいのか、

正直、

まだ見定まっていない。


しかし、自分だけの人生。

決して後悔はせず、

生きていきたいと

強く感じたのであった。